TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

対話AIで人間性を失う危険性

英訳をGPTにお願いした。お願いするとき、人にお願いするように記述した。でもGPTには感情がないので、別に丁寧に頼む必要はない。効率の観点から言えば、時間もかかるし、無駄だろう。しかし、この「感謝」や「尊敬の念を持ってやりとりをする」こと。ここに、動物としては弱い人間の本当の強さ、人間らしさがあるのではないか。私はそう思った。GPTだけでなく、素晴らしいテクノロジーやサービスを使うとき、ついついそれが当たり前だと思ってしまう。テクノロジーに関して言えば、丁寧な対応なんて、無駄でしかない。しかし、この無駄こそ人を人たらしめているものではないのか。

 

正しい比較ではないかもしれないが、自動水洗トイレを例に上げたい。自動で流れることになれると、いざ古いトイレを使うときに水を流すのを忘れて、便座から立ち上がって、あっ、と思うことがある。

 

効率を追い求め、AIを使うことになれた人間は、いざ生身の人間と退治したときに人間らしい対応(お礼を言うとか、尊敬の念を持つとか)そういうことを忘れてしまうんじゃないか。円滑なコミュニケーションにおいて、お礼を忘れてしまうことはダメージが大きすぎる。水洗トイレは思い出して流せるが、会話での無礼は水には流せない。

 

AIによって思考力が低下する、なんていうことも懸念されているようだが、今のところ思考力の低下は感じられない。考え方というか、考えるという行為の質が変わったきはする。GPTを使って、考えを促すこともできる。「逆に質問はありますか。これまでの会話から考えて質問をしてみてください。」と頼めば、なかなか反応に困る質問をしてくれる。彼は人間を助けることもできるし、困らせることもできるのだ。

 

私が心配するのは、思考力ではない。人らしいふるまいができなくなることだ。感謝すること。これを特に強く心配する。と思ったが、すでに、感謝すること、とくにそれを口にする機会はめっきり減っている気がする。口にせずとも「あぁ、ありがたいなぁ」という想いに浸るシーンは、めっきり減っている気がする。この瞬間が疲れた人間を癒やすと私は信じている。

 

加速度的に、テクノロジーは強く発達した。しかし、感謝の念に浸ることが少なくなった人間は、加速度的に弱くなっているのかもしれないと、一丁前に心配する。