TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

神経質な自分を諦める

最後の更新が去年の10月になっていてギョッとした。そんなに立っていたのか。書きたいことはたくさんあって、その都度icloudのメモに書き残していたので「書く」という行為から遠のいたわけではなかった。というか、最近になってまた書く習慣が戻ってきた。今月の初めくらいから。恥ずかしい話、仕事が暇で手持ち無沙汰になってくると頭の中の虫がやかましくなり始め、何かを書かないと落ち着かなくなってくる。以前は書いているうちに自分の言葉(理屈)に縛られ始め、これまた不安定になってくるというパターンに嵌っていたが、今のところ大丈夫。前回の記事、去年の10月以来、頭の中に「はっ、所詮暇つぶしさ、おちつきたまえよ」となだめる自分が住まうようになった。

 

「読者になる」に登録している人にやしおさんという方がいる。この方はツイッターで「ゼルダとジムとやりがい搾取」みたいな記事がバズっていて、それをきっかけとして知った。どうやら高専出身の方のようで、どことなくもう今は連絡を取等なくなっった友達を思い起こさせる人柄から定期的に記事を読んでいる。

yashio.hatenablog.com

 

このやしおさんがチクリとする記事を書いていた。

yashio.hatenablog.com

まさにそのとおりだと思った。自分にとってのダンスやボクシングなんかはそうだ。今も定期的にダンスの動画を見たりはするし「これは!」となる曲があると自然と体が踊りだしてしまうけど、やりたいやりたいといっているダンスジャンルはいつまで立っても手つかずで、練習という練習は全くしていないから上達しているとも思わない。家でシャドーはするが、ジムにはもう半年以上行っていない。

ただ、やしおさんにしてもそうだが、ここまで油彩ができるのになんとなくでやめてしまってもうできなくなるのはもったいないと思った。自分は定期的に内側にこもってしまう。そういうのを自己韜晦?というそうだが(多分ちょっと違う)、特にSNSやブログといったオンラインの活動にはアレルギーが出ることが多い。淀みなく流れる川のようにずっと継続できれば良いのになぁと思う。「歯磨きレベルで習慣化」などと情緒のないビジネス書みたいなことは言いたくない。

 

ポイントは「諦めること」なんじゃないかと思っている。色々思い煩ってしまう。常に自意識過剰気味なので、こんなことはしたらまずいのではとか、こうしたほうがいいのにできていないからだめだとか、ジャッジし始める。それで足が遠のいていってフェードアウトする。そこをもう思い煩うもんだと諦めて、億劫になるもんだと諦めてする。

 

まぁ。そう言うことがわかっていても、なぜか頑張ろうとしてしまい、結果足が遠のいてしまうというのが難しいところだ。ここからは屁理屈になるけど、そういうのも込で、どうせ足が遠のく、と遠い目をしていたほうが案外できるのかもしれない。

 

久しぶりに父と会って話していたときに気がついたが、神経質(神経症気質)の人はどうも意識すると点で空回りする。自分や父を含め、世の中にはそういう人が一定数いる。頭でっかちになって動きががちがちになってしまう人。自然にのびのびしていればうまくいくのに、なぜかもんもんと考え込んでしまって、あるいは気になってしまって、がちがちになってしまう。やはり「諦め」がいい薬になりそう。