また数日、ふせっていた。具体的には数日会社を休んでいた。とてもじゃないけど起き上がれる感じじゃなかった。こういうときは往々にして、意味を考えている。
なぜこんな状況になっているのか。
なぜ他の人はこうはならないのか。
どうして自分だけなのか。
こんな調子でどうするのか。
あれだけ苦労したのになぜまたこんなことになるのか。
あの楽しかった気持ちはどこに行ったのか。
こういう意味を考える作業に全精神力を使うようになると、以前あれしよう、これしようと楽しく考えていた頃を思い出せないほどにしんどくなる。しんどいという感覚さえ怪しい。意味のことで頭がいっぱいになる。そしてそれっぽい原因を程なくして見つける。大抵の場合、家族だとか、今の仕事だとか、昔はこうだったのにという執着心とか、そういう環境や境遇についての話が原因ぽいものとして上がってくる。そしてはっとする。もう何回もこういう自問を繰り返して、その度に同じ結論にたどり着いてるということに気がつく。そしてまた「なぜ」を考え出す。なぜ、一度気がついた、いや一度ならず二度三度と気がついてきたのに、同じ道を通ってしまうのか、前はもう通らないための選択をした。その気持ちが慢心だったのか。いや、たしかにそれまでとは違う選択をした。はず。だから、今回また同じ状態、同じ怒りを抱くはずはない、なのに一体なぜだ、、、と延々とみみっちい自問が続く。始末が悪いのは、こういう意味を考える行為を「ながら」で考えていることだ。SNSをスクロールしながら、動画を流しながら。そういう状態。良くないことはわかっている。でもやめられない。そういう状態。
数日そういう感じで過ごして、今日の明け方くらいになんだか急にスッキリしてきた。いい意味で諦めがついてきたのか、このままじゃいけねぇなと踏ん切りがついたのかはわからないけど、なんかうまく収まったと思うことがあった。せっかく休んで調子を取り戻したんだから、またこうなりたくない。だから今回は、次はこうならないためには何ができるかを考えた。(いつもはなぜこうなるのかを考えて、というか悩んで終わり)その結果が、さっきの投稿の今必要だと思うこと。
参考文献は色々とあるけど、一番は坂口恭平さんの「自分で自分の薬を作る」と、
ジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことをやりなさい」の2冊。
こういう自己啓発メソッド系、自己啓発エッセイ系を読んでしまう自分を恥ずかしく思う気持ちがある。自分で自分を笑っているというか、バカにしているところがある。こういう本を盲信するのもいかがなものか、と思うが、自分を笑うのもどうかと思っている。「モーニングルーティン」という言葉も使いたくなかったし、坂口さんの「日課」もなんだか自分にはそぐわない感じがしたので、あらたに「リハビリテーション」という単語をあてがった。個人的には、自分は病んでしまっている、障害を抱えているという認識があるので、なんかこう、リハビリと聞く治せそうな感じ、元気になっていくポジティブなニュアンスがあって気に入っている。自己観察がネガティブな自分としては「リハビリ」がしっくり来た。
そうはいっても、内心またどうせだめなんでしょ、と自己防衛に走る自分がいる。果たして、今後どうなっていくやら。