TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

ロバートのコント「邪念ゼロ研究所」のすごさ

前田さんはお笑い芸人のロバート、お好きですか?

僕は3人とも大好きです。今でも頻繁に見返すロバートのコントとちょっと前の自分がリンクするので、その話をしたいなと思います。

 

「同じでも全然違う」という記事で0度と360度の話をしました。0周目、1週目というやつです。そして、その考え方を昔の自分の思考に当てはめるとこんな感じかと思います。

<0周目>(6~7年前)

「習慣化しないといけない」

言語化しないといけない」

「俺の強みはこれだ、だからこれを伸ばさないといけない」

「何者かになりたい、何者かになるべきだ、何者かになれる人間のはずだ」

「周りの人に『難しく考えすぎ』とよく言われる」

 

<0.5周目>(1~2年前)

「フルコミットしないと」

「熱中しないと、成果が出ない」

「成功者は何かにのめり込んだ経験を持っているから自分もそうならないと」

「効率を上げるにはどうしたらいいか、もっと予定を詰める」

「全然集中できない、もっとやらないといけないのに」

「『考えすぎ』という意見はいったん無視しよう」

 

<0.9週目>(最近)

「『集中しないといけない』が集中を妨げている、、、?」

「『~すべき』がとれない」

「『何者かになりたい』が何者かになるのを妨げている、、、?」

「「考えすぎ」ってこういうこと、、、?」

 

こんな風に自分の思考を振り返るとに頭によぎるのがロバートのコントです。

それは「邪念ゼロ研究所」です。

ロバート 邪念ゼロ研究所

「邪念をとらないといけないというところがもう邪念だから」

「はーい、いってきまーす」

「私今邪念ゼロでした、何か変なことしませんでした?」

「余熱で雑炊作るみたいなもん」

などパンチラインの乱れ打ちのようなコントですが、欲やコンプレックス、不安や恐れを「邪念」と考えるとコントの見方が少し変わります。

 

馬場さんはこの研究所に生徒として参加する役なのですが、邪念ゼロ研究所にやって来た理由として、

「また町中のばあさんを角材でなぐりたくなってしまって、、、」

ということを理由として挙げています。。そんなこと考えてなさそうなキャラのセリフで、初めて聞いたときは爆笑してしまいました。しかし、この人を強迫神経症や不安症によって攻撃的になっているととらえることもできなくはありません。会社ではニコニコしていても、内心いっつもイライラしている人をコント用に誇張していると解釈することもできます。

 

邪念ゼロ研究所の面白さ、すごさはこんなところにとどまりません。

このコントが本当にすごいところ(自分が好きなところ)は、秋山さんの

「邪念をとらないといけないというところがもう邪念だから」

というセリフに集約されています。このセリフを秋山さんはボケとして扱っているのですが、ちょっと禅問答のようななニュアンスがありますよね。これは禅や精神的なことを小バカにしているのではなくて、笑う余裕があるくらいがいいんじゃないの、と言っているように感じるのです。

このコントは「なにが邪念だよ笑」と鼻で笑えちゃうくらいの余裕が、もっとも邪念から遠いんだよと教えてくれているような気がするのです。

 

とはいえ、ここで断っておきたいこともあります。邪念ゼロ研究所のようなうさん臭いものがすべて悪いわけではないということです。追い詰められていた時、自分の生来の好奇心の強さが悪くマッチしたのか、はた目には非常にうさんくさいサークルに所属していたこともありました。邪念ゼロ研究所と引けを取らない怪しさです。そういうところに実際所属して分かったのは、決してそれが悪いものではないということでした。たしかに、盲信している信者のような人も見かけましたが、実際そこで教えられていることを実践し、自然にふるまっている人も見つけました。怪しさと有効性は関係ありそうでないと思います。リスクはどんなに安心できるものにも含まれていると思うのです。

 

邪念ゼロ。いい響きですよね。虚心坦懐、無我の境地。いろんな言い方があると思います。自分はこれまで邪念まみれでした。今もそうです。そんな凡人の自分には「邪念ってなんやねん笑」とゆとりある姿勢が一番合っているのでは、と感じる今日この頃です。