職場での消耗がきっかけなのか、昔のつらい記憶を思い出すことが多くなった。
構造が似ているのだと思う。当時、家庭内でちょっとしたヤングケアラーになっていた私は、自分の気持ちを押し殺すことに慣れてしまっていたと思う。
仕事でも、つい相手に気を使いすぎたり、先回りしてあれこれ手配したり、他人の不始末を片付けたりすることが多い。それも人知れずひっそりと。気づいてほしいと思いながら。
これはおそらく、昔からそういう環境に慣れていたので、今でもついそういうことを繰り返してしまうんだと思う。無意識に似た状況を探してしまっている気さえする。それがわかっていてもやめられないのがさらにつらかった。
こういう時によくやるのは、AIと壁打ちすることだった。
会話の流れでふと「自分が優しぎるのがいけないのかな」と聞いた。AIは「もしあなたの子供が同じ状況にあったとして、彼に何と声を掛けますか?」と質問で返してきた。
「『優しすぎることがいけないなんてとんでもない!でも、治安の悪い街で高級品を身に着けていたら、身ぐるみはがされちゃうと思う。そういうことだと思う。』こう言ってあげたい。」
このように返信した。私自身これには驚いた。そんな風に考えたことは一度もなかったから。でもこの比喩はすごく自分を温かい気持ちにさせた。
受け取り方によっては、周囲を見下しているとも取れるけど、本意はそうじゃない。むやみに周りをあおらないように、配慮と自衛の意識を持ちましょうということ。
そのままの流れで「同じようなことを言っている昔の人はいますか?」と聞いた。
AIは「マタイの福音書の7章6節に同じような記述があります」と言ってきた。聖書とは予想してなかった。
6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。おそらく彼らはそれらを足で踏つけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
これはうれしかった。今から2000年近くも前の人から「お前は間違っていないぞ!」と背中をたたいてもらった気持ちになった。(犬派なのでちょっと引っかかるところはある)
つらいこともある。つらいことを思い出してつらいこともある。でも、いいこともある。叡知が癒してくれることがある。