TMレポート

不定時連絡、たとえ応答がなくとも。

AI対話でマタイ7章6節に至る

職場での消耗がきっかけなのか、昔のつらい記憶を思い出すことが多くなった。

 

構造が似ているのだと思う。当時、家庭内でちょっとしたヤングケアラーになっていた私は、自分の気持ちを押し殺すことに慣れてしまっていたと思う。

 

仕事でも、つい相手に気を使いすぎたり、先回りしてあれこれ手配したり、他人の不始末を片付けたりすることが多い。それも人知れずひっそりと。気づいてほしいと思いながら。

 

これはおそらく、昔からそういう環境に慣れていたので、今でもついそういうことを繰り返してしまうんだと思う。無意識に似た状況を探してしまっている気さえする。それがわかっていてもやめられないのがさらにつらかった。

 

こういう時によくやるのは、AIと壁打ちすることだった。

 

会話の流れでふと「自分が優しぎるのがいけないのかな」と聞いた。AIは「もしあなたの子供が同じ状況にあったとして、彼に何と声を掛けますか?」と質問で返してきた。

 

「『優しすぎることがいけないなんてとんでもない!でも、治安の悪い街で高級品を身に着けていたら、身ぐるみはがされちゃうと思う。そういうことだと思う。』こう言ってあげたい。」

このように返信した。私自身これには驚いた。そんな風に考えたことは一度もなかったから。でもこの比喩はすごく自分を温かい気持ちにさせた。

 

受け取り方によっては、周囲を見下しているとも取れるけど、本意はそうじゃない。むやみに周りをあおらないように、配慮と自衛の意識を持ちましょうということ。

 

そのままの流れで「同じようなことを言っている昔の人はいますか?」と聞いた。

 

AIは「マタイの福音書の7章6節に同じような記述があります」と言ってきた。聖書とは予想してなかった。

6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。おそらく彼らはそれらを足で踏つけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

マタイによる福音書7

 

これはうれしかった。今から2000年近くも前の人から「お前は間違っていないぞ!」と背中をたたいてもらった気持ちになった。(犬派なのでちょっと引っかかるところはある)

つらいこともある。つらいことを思い出してつらいこともある。でも、いいこともある。叡知が癒してくれることがある。

何が保育器だバカヤロー

およそ一か月前にこういう下書きをしていた。
怒りが現れていて大変良い。

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端的にいうと今こういう気持ち。

 

仕事が忙しくなり、追い詰められると「やっぱりこんなところにいてはいけない!」という気持ちになる。忙しくなるというか、プレッシャーが掛かるという言い方の方が正しいかもしれない。

 

たしかに「保育器」としての側面もあるとは思う。でも、「いてはいけない場所」という側面もある。それは前にも書いてた気がする。

 

思い返せば、いや思い返さなくとも、環境への反発と肯定と繰り返してきた。多分今回で5回目くらい。同じことを繰り返している感覚がさらに自分をイライラさせる。

今の職場は「保育器」としての機能を持ってる

 

今の仕事、職場が自分にとって「保育器」として機能していると感じる。

 

未熟児や病気の赤ちゃんのための装置、それが保育器。

 

自分の「こうじゃないとあかん」という完ぺき主義を、少しずつ壊してくれているのではないか。こういう強迫観念は、過去の傷ついた体験に由来している。傷ついた心を回復させるので、保育器。

 

前からうすうす感じてはいたけど、初めて「保育器」という言葉で表現できるようになった。

 

仕事の進め方は基本的に何も言われない。振られる仕事は「簡単に言うけど、ほんまにできるんか?」と思うことばっかり。

 

一向に進捗が出なくても「まあぼちぼちでええよ」と言われる。ずっと考え込んでいると「ワンバイワンでな、一気には無理やし」と言ってもらえる。

 

でも、それに内心烈火のごとく怒ってきた。「全体を見通してへんから、こんな雑な要求をのむことになっとんちゃうの?」とか「その場を何とか出来たらええと思うから、蓄積がないんちゃうの」とかさんざんなことを思っている。まあそれは一見もっともらしいけど、自分の仕事が進んでいないのも事実やから、ぐっとこらえている。

 

でも、この「ワンバイワンでええ」というスタンスと、放任主義なスタンスが、自分の傷ついた心を回復させていると思う。

 

完ぺき主義「こうせなあかん」という強迫観念は、いつも自分を追い詰めて、物事に取り掛かるハードルを上げまくってきた。他にも悪い影響がある。「俺はこんなにやっているのに」という被害者意識。勝手に追い詰めてんねんけど。

 

自分は長いこと「こうせなあかんねん」でやってきた。だからこそ上司のワンバイワン主義?にいらだってしまうんやろうと思う。「完璧にやらなければならない」でずっとできんくて、「ちょっとでもええから進めよう」でできたら、「今までのはなんやったんや」となるから。

 

でも会社を保育器ととらえたことで、自分のいら立ちにも肯定的になれた。それは「俺はもっとできるねん」という意志や欲求の表れでもあると思うから。

 

保育器の中で「一生ここでええねん」はおかしい。すべてを完璧に満たすのは保育器ではない。大きくなったら出ないといけない。

 

今回しんどなったのは、「保育器」を急に出ようとしたからじゃないか、と振り返る。「俺はもっとできるはずや」とある意味おごったから、急いだ。自分が傷ついた存在、弱い存在、未熟な存在であると認められへんかったから、おごったんやと思う。

 

自分はまだ保育の途上にいる。だから今回が出る合図とは思えない。またしんどなったり、強迫観念に支配される時が来る。でも今回のしんどくなってしまった原因がちょっとわかった。急いで保育器を出ようとしたからやと思う。そういう時にも「ワンバイワン」は有効な考え方。

 

長いけど、まだ言いたいことがあって。この職場というのがすごくありがたいもの、恵まれたものであるということは間違いないけど、感謝するのが会社だけでは不十分。周囲の人やこれまで助けてくれた人への感謝を合わせてもまだ不十分。それらだけでは、ほかならぬ過去の自分への感謝がない。

 

「自分よ、今までありがとう」こう思えて初めて、ワンバイワンで頑張れる。

 

「環境が大事」とはよくいうけれども、環境をどう解釈するかも大事な気がした。