TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

覚悟と諦めについて

 前田さん 久しぶりです。

 

 もう連絡しなくなってしばらくになるかと思いますが、今でもたまにみに来てもらえているのではと思いこちらに書いていきます。前田さんは来るもの拒まず、去るものを追わず。本当になんというか、超越した人なんだと思わされます。

 

 前田さんとTMラジオレポートをやらなくなってから、またまたさらにいろいろありました。同級生と話していると、自分の年齢は何やら変化が多いようです。思うに、これまで軸として生きてきた考え方が機能しなくなってくるシーンに出くすのが今の年齢なのではないかと思います。20代前半までは大人たちに与えられた価値観で育つと思います。本人は自分の価値観だと思っていても振り返るとそうではなかったりする。そんな中、社会に出るといろんな人や機会に遭遇します。そこでしばらくは力づくというかごまかしがきくのだと思いますが、どんどんほつれがひどくなっていきます。カバーしきれない箇所が出てくる。だからあて布をして、だましだましボロボロの価値観を着ていましたが、とうとう丸ごと仕立て直す必要が出てきました。年齢の話をしましたが、何歳になっても、価値観のアップデートは節目節目で迫られるのだと思いますけど。「闘争か逃走か(Fight or Flight)」とはよく言ったものですね。

 

 もしかしたら前田さんにもあったのかもしれません。私は「あきらめる」という選択肢をとりました。当時の自分が聞いたら「妥協したんだな」と軽蔑されそうですが、決して妥協したわけではありません。むしろ逆です。徹底的に追い求めると決めたからこそ諦めれるようになったというか。あれほどいろんなことに「べきだ」とこだわり続けた自分でしたから、苦しかったです。でもそうでなかったら、これまでさんざん辛い思いをしてきたのに、またもう二度三度おなじ轍を踏んで、自殺するかどこか冷たいところに収監されていたと思います。そうやって折り合いが付けられなかったものに少しヒビを入れられたことで、急に視界が広くなりました。まだまだ諦めの途中です。日増しに諦められるものが見つかっていきます。あきらめるというより、観念するという感じですか。もうしょうがない、と。この「諦め」こそ前田さんのいう「覚悟」だったんだと今は理解しています。当時は覚悟とは気負うものであり、脱力するものだなんて想像すらできませんでした。まだまだ道半ばですが、昔の「深刻な覚悟不足」にあえいでいた自分からは卒業できたのかもしれません。

 

 TMラジオレポート時代は前田さんが師匠だという認識が強くありましたが、今はあまりそうは思いません。当時から思っていましたが、昔は何となく過剰に感謝しに言っている感覚がありました。それを言葉にすることが怖かった。認めたくなかったのでしょう。ありがたがるという行為を信仰していたというか。もちろん、あの時いろいろ話を聞いてもらえたことは今の自分を形作っています。しかし、それ以上に師匠と弟子など型にこだわっていたように思います。

 

 どうせ自分のことですから、また紆余曲折はあると思いますが、どんどん自由になっていくのだと思います。以前とは比べ物にならないくらいのびやかになった自分を前田さんにお見せしたいです。

 また一緒に食事しましょう。