TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

新しい疑問の形

「なぜこれをしないといけないのだろう」
「これって自分がしないといけないことなのか」
「これってべつに俺じゃなくてもいいんじゃないのか」

「いやいや、仕事だからやらないといけない」
「やりたくないだけでしょ、ヘリクツいわない」
「だまってさっさとやる」

「いやでも、」

いつもの堂々巡り。

問いが間違っているのかもしれない。
実は疑問に思うことはやらなくていい?
本来やらなくていいことを「なぜやらないといけないのか」と問うと袋小路に入る?
つまり堂々巡りのコース。そんな気がしてくる。

もっと大切な問いがある。
「なぜやらなくてもいいのに、やっているのか」
こっちの方が何千、何万倍も大事だと思った。

なぜ、やらなくてもいい仕事をやっているのか。
現状を問いただす問い。
生活水準の維持、という結論が透ける。
あるいは、何となく。

「自分に対する分析的な問いかけをやめる」
というのを目標に上げたが、やってしまった。
分析的な問いは自分を委縮させる。委縮させる問いをやめる。が核。

「やらなくていい事をなぜやっているのか」という問いは返事に非常に困る。
やらなくていい事。SNSで時間を浪費するとか。
この質問は自分を委縮させているのか。いいや、今までされたことのない質問で困惑してる。これは問いは問いのままにしておいて、自分の中での広がりを待つしかない。

そして疑問に対して言葉での回答を待つ、というのも旧来のやり方。
自分の中での最先端は、問いによって自分の行動が変化する、というパターン。
言葉での問いかけに対して、体で答える。
むしろ、言葉で答えるエネルギーを行動に回すので実用的かもしれない。

今やっていることは必要があること。
仕事、仕事しているフリ、SNSでの時間の浪費などなど。。。

それをやってしまうこと。心身の未発達。
やりたいとかやる必要があると思っていることに自分の時間を注ぐこと、
これに慣れていない。つまり体力がない。場合によっては心の体力もない。
どういうことに慣れているか。自分がやる必要がないと思っていることに慣れている。
不必要に感じていることに耐える体力がついてしまっている。リハビリで治る。

結局、言葉で答えちゃった。これもまた、慣れのなす業。

リハビリに取り組む。これが体で答えること。
最近、こういう体力のなさを実感している。
つまり、リハビリに取り組み始めた証拠。
劣化した身体感覚を取り戻す。興味のないことに取り組む体力が付きすぎて、
別の体力のなさに気が付いていなかった。

繰り返し。取り組めば体力は付く。何歳からでも。
なぜか。あくまで比喩だから。体力が実際にあるのかどうかはわからない。
でも、慣れ不慣れは確実にある。