TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

成功に「バランス」は本当に必要?

新年一発目の投稿になりますが、勢いで書き上げるのが自分には合っているのかもしれません。

 

昨日ちょうど観念的、感覚的ということをお話ししましたね。

 

森田正馬氏の森田療法を参考に、観念的な自分がもう少し感覚的になれるようにバランスをとっていけばもっと生きやすくなるのでは、というそんな話でした。

 

それに派生して、森田療法の反対ともいうべき「前田療法」みたいなものもこの世のどこかに存在するのでは、という話もついでにしましたね。つまり、感覚的な人はもっと観念的になることによっていいバランスになれると。

 

たしかにそれはその通りかもしれませんが、ところではたして現状前田さんは生きづらいとかんじているのでしょうか?

 

また、あの時のテレビ通話では前田さんのようなタイプは、僕とは逆にもっと観念的になれば成功できるという文脈で話をしていたような気がするのですが、今日ふとそれについて疑問が湧きました。

 

つまり自分がもっている疑問はこうです。

「生きづらさが解消されることが成功に結び付くのだろうか?」

 

きわめて個人的な(内面的な)問題から生じたギモンではありますが、これは意外と多くの人に関係するギモンなのではないかと思うのです。

 

「繊細さん」「発達障害」「グレーゾーン」「HSP

生きづらい人たちが少しでもそのつらさを取り除く?ために、様々な名前が生まれました。しかし、それらの事柄について語っている本は、私にはどうも怪しく映るのです。自分が生きづらい原因に名前を付けて把握するという出発点は素晴らしいと思います。しかしそのおかげか、ある原因を取り除けば、もっと言えば、自分のある性質とうまく付き合えるようになりさえれば、すべて丸く収まると誤解してしまいやすくなっているのではないかと感じるようになりました。

 

私は自分で勝手に論理の飛躍をさせてしまっていたと思ったのです。

 

観念的あるいは感覚的な性格の偏りによってその本人が生きづらいと感じていたとします。そういった自分の性質とうまく折り合いをつけれて生きやすくなったとしましょう。それはものすごく素晴らしい事ですが、そんな素晴らしいことといわゆる成功(お金持ち、有名になる、成果を上げる)ということは関係ありそうで実はないんじゃないかと思ったのです。実際、生きやすさ生きづらさに関係なく、成果や名声を得ている方はたくさんいるでしょうし、そういう人がバランスの取れた人間かというとあまりそうは思えないのです。ピーキーな人が自分で気を付けてバランスをとっているというよりも、たまたまそのピーキーな人のバランサーになれる人が周りに多いとか、反対にまったくいなくて、せっかくの地位や名声も自分自身で台無しにしてしまう方などなど。。。

 

こんな風にして、自分が理屈を勝手に拡大させていることに気が付くと、「成功」云々はやっぱり天に身を任せる他ないもので、自分を深く知り、そしてまた自分の特性をいかんなく発揮し、その結果他人や社会に貢献できれば、お金や名声などにはあまり関心が行かなくなるのかもしれないと思いました。