後輩への指導力をつけるセミナー中、昔を思い出してつらかった。
人間性を全否定するような罵詈雑言をはかれたこと。
激しい暴力を振るわれたこと。
さらに痛ましいことに、
自分の怒りや悲しさを表現したり、
そういう負の感情から逃避したりするための手段も奪われていたことに気が付いた。
絵を描くこと、踊ること。何かを続けること。成果を気にせずのびのびやること。
こんなことがあって、自分自身でよくやっていたなと思う。それは親のことを彼らより理解していたからだと思う。肉体的精神的に傷つけられても、それが悪意を持ってされたものではないことを知っていたからだと思う。
しかしそうだからこそ余計に苦しんでいたことも思い出した。
ただ、一つ考えたいことがある。
こうやった悲しみや怒りに浸ることができるのも、母と父が自分を産んでくれたからに他ならないということ。
ざっと書いてみて、いつまでも悲しみに暮れているのももったいないな、と思った。