TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

何を持って「正しい」と言えるか

これまで、いろいろと考察やら分析みたいなことをしてきましたし、ここでもいくつか述べてきました。しかし、それらは全く意味のないものなのではないかという疑念が大きくなってきました。「意味のないもの」というのは、もう少し詳細に言うと「実態からは遠い単なる思い込み」ということです。

 

「なぜ怒りを制御できないのか」とか「なぜ成功できないのか」とか「どうして〇〇するのがやめられないのか」といったことに対する考察は、一見もっともらしいですが、実際のところはそれが正しいと証明することも間違っていると証明することも極めて難しいと思ったのです。仮説をいくら並べ立てても、フィードバックがなければ仮説はブラッシュアップされず、複雑な背景を解き明かすことには繋がりません。そして、感情や今の自分のステータスについてあれこれ仮説を立てたところで、どれだけもっともらしい説明をしても、それが本当がどうか検証できないと感じました。

 

カウンセラーには、「『正しいかどうか』がそんなに重要ですか?」と問いただされました。その時は、正誤に振り回されすぎている、ということで納得したのですが。。。

 

「考察なんて意味ないものだ」と一蹴しようとすると、「はっきりとわかるものだけがすべてではないのではないか?」と批判する自分があります。「白黒つけず、わからないまま抱えておこう」とすると、「答えを出すことから逃げ、甘えているのではないか?」と厳しくと訴追してくる自分がいます。

 

暫定的な答えとしては、「わからないままに」を採用しています。詰めながらもやっぱりわからない、としていた方が自分のようなタイプにはあっている気がするのです。「詰めながらも」というのがポイントで、正しさを証明する方法を学びたいと思っています。具体的には数学や論理学ということになります。情報科学量子力学についても興味があるので、数学は必須だと思っています。もうやりたいといって一度やめてから、2年くらいたちます。

 

そろそろ「やるやる詐欺」で逮捕、起訴、書類送検されるかもしれません。本件のみならず、余罪も多いと当局に睨まれています。。。