TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

前田さんと「パーシグの煉瓦」

前田さんは以前、腹筋の継続のために、しんどくてもできそうなノルマを課すアイデアを話していました。私はこれを「腹筋一回論」と呼んでいます。洗い物も一枚だけ洗う。そうすると結局、全部やっちゃう。本当にめんどくさくて、3分の1しか進まなくても、何もしないより全然いい。もし本当に一枚しか洗わなくても、ちょっとは進んだことになる。そういう理屈でしたね。

 

それを振り返って思い出したのが、「パーシグの煉瓦」です。「ロンギヌスの槍」「オッカムの剃刀」みたいでかっこいいのでこう呼んでいます。パーシグとは、アメリカの作家ロバート・パーシグのことで、煉瓦は彼の著書「禅とオートバイ修理技術」で登場する小話に由来します。彼は大学で修辞学の教師をしており、学生に地元にあるものについて作文をかけという課題を出します。すると、一人の女子学生が「どこからはじめればよいか手につかず、課題が進まない」と相談にやってきます。すると彼は「であれば、この町の水道局の建物の壁に用いられている煉瓦について書き始めなさい」と指導します。しぶしぶそれで始める女学生でしたが、最後は「終わり方がわからない」と相談に来るほど筆が進んだというのです。

 

腹筋一回理論にしても、この「パーシグの煉瓦」にしても、非常に勇気をもらえる話ですよね。でも正直に言うと、僕はこの手の話が苦手です。「スモールステップ」というような考え方は確かにもっともです。ではこの話を知っている人はみんな終わり方が分からなくなるほど継続できているかというとそうでもありません。みんな作文がさらっと書けるようになるわけでもないし、腹筋をずっと続けられるわけでもない。人はどうして挫折してしまうのでしょうか。

 

それは結局、

 

「煉瓦」がから離れていってしまうからではないかと思うのです。バイクが速度を出しすぎてカーブを曲がり切れず、転倒するのに似ているかもしれません。成功したい、より大きな成果を出したい、という欲がバランスを壊すのだと思います。私は欲深く、手派手に転んでは拗ねています。どうせできないとふてくされています。だから「パーシグの煉瓦」のようなスモールステップの話を聞くと、「はっ、そう単純じゃない」とへそを曲げてしまいます。

 

多くを望み、バランスを欠くことが悪い事のように書きましたが、転んだ分の蓄積はどんどんたまっていきます。あえて言えば、すねたりふてくされる方がもったいない、というところでしょうか。いまだに全然拗ねてしまうのですが、だからこそ単純に考えて何回も挑戦すればいいんだと思います。

 

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この記事は9月ごろに書いたものでしたが、「それは結局、」の先がかけず、ずっと下書きボックスの中で眠っていました。

 

最近、積年の油汚れのような頑固なこだわりがちょっとずつはがれてきているのを感じます。できるだけ、悩まないように、きっちりとした理屈を求めすぎないようにできるようになってきたかもしれない、と感じています。

 

仕事でなにやら難しげな装置を触っています。そこで起こる複雑な現象を理解するため、昔のえらい人が「電磁気学」という学問として体系化しました。しかし、外部顧問に言わせると「結局触らないと有効なデータは得られない」とのことで、やっぱり理解は後からついてくるのかもしれない、と思う今日この頃です。