TMレポート

ブログタイトルはそのままに、思いついたことを書く場所に変えました。。。

ジョブズが言いたかったこと

 

ここ数日好きなことをして生きているという実感がある。

もちろん、仕事はあるしその残業もあるけど、それをするおかげで美味しいものは食べれるし、家にすめて、車にも乗れて、好きなこともできる。ようやく?仕事を好きなことをする上での一貫ということに位置づけられた。でも別に大層なことではなく、ご飯が食べたかったら、ベットから出たり、買い物に行ったり、料理したりする必要があるのと同じだ。

 

そうなると、不思議というか皮肉にもというか、仕事に期待しなくなる。べつにつまらなくてもいいや、となる。それでなげやりとか適当になるかというとそうでもなくて、期待していないからか、面白いところが目につくようになる。「意外と」面白いということになる。だから手を抜くとかは別に考えなくても、自然にやってしまう。残業もそんな感じだった。別にしようと思ってなかったけど、なんとなく。特別なこととというか、なんか偉大な気付きみたいに書いているけど、別に普通な気もする。そんなことみんな知ってるんじゃないかと。でも自分には結構見落としていた所だったし、生き辛さの要因の一つだった気がする。いろんな言葉に踊らされ過ぎたのだと思う。自分から踊りに行ってたところはあるかもしれない。「こうあるべき」に縛られるというのは、そういうことなのではないだろうか。実際には誰も押し付けていないからだ。

 

ところで、このなんとなく。なんとなくで判断できるのは人間の便利な機能のひとつだが、バランスが難しいところだ。「なんとなく」はたいがいうまくハマるけど、それに味をしめるとあっという間に受動人間になる。はじめは何が良くて何が嫌かを無意識に判断できていたのに、とりあえずなんでも受け入れてしまうようになる。便利なものは大概取り扱い注意である。スマホとか特に。

 

話を「好きなことをして生きている実感」の話に戻す。

こう感じてから、これまた不思議なもので、ふと「今死んだら嫌だな」と思う様になった。でも、すきなことをしているし死んだら死んでそういう運命だったとうけいれるしかないか、という諦念みたいなのもある。とはいえ明日がやってきた場合にはいつもどおりやりたいことをやります、という感じ。そしてこれがタイトルにある「ジョブズの言いたかったこと」なんじゃないかと思った。彼が言っていたのは

「毎日死ぬつもりで生きているか」そう問いかけてみろ。

みたいな感じだったと思う。自分もこの話を聞いてから何日かは鏡の前でそういう自問をしてみたことがあったが、「していない」と食い気味に答えてしまう。ヘコむのですぐやめた。

そして今である。自然と明日死んだらどうだろうかと考えている。別にジョブズの話を聞いたときほど深刻な問いかけじゃない。今日セブンに好きなお弁当あるかな、くらいである。ヘコむほど強く問うてしまうようなことじゃないのだと思う。

 

「死を思え」というのはよく偉人が言っているし、メメント・モリというどこかの国(古代ローマだった)のことわざにもなっていた気がする。そのくらい大事ということなのだろうか。死を思うことで日々をありがたく生きることができるという。この手の話を聞いたのは3−4年前だったような気がする。自己啓発どっぷりの時だった。だからこの「ありがたい」というのもなんだかものすごい深いありがたみなんだろうなと思って聞いていた。

でも今考えると、日常的な深いありがたみって矛盾している気がする。誰かになにかしてもらって受け取れるものでもない、単に生きていてたら実感する時があるくらいのものである。車にひかれそうになって死を覚悟して、生のありがたみに気づくのとは違う。

だから実際「今日もありがと」くらい軽いものだと感じている。

もっとも、「単に生きていたら」と書いたけど、実はすごいことではもちろんある。だれがしか(テクノロジーや何らかの犠牲、システムも含め)に支えられている。

それに気づくことは大切だけど、いつもいつも気づいては日常生活は送れない。たまに思い出すくらいだから、ありがたみも深くなる。

 

話がちょっと脱線したけど、「死を思う」ことについて。

ジョブズが言いたかったこととしてはあの文章のまんまだけど、中身はそこまで重たいものではないのでは、ということが自分はいいたかった。もし、鏡の前で自問し落ち込む昔の自分にアドバイスできたら、なぜ「なぜ好きなことができていないのか」とかんじてしまっているのか考えてみなさい、と言いたい。自分の環境の受け取り方次第だった気がするのである。ジョブズは「環境を変える言葉」ではなく、環境の「捉え方が変わる」(「を変える」というほど大層なものでもなく)方法の一つを提示したかったんじゃなないだろうか。もちろん、自分もこれからである。