読書に対する姿勢の変化
そして、この間。料理研究家の土井善晴氏の「一汁一菜でよいという提案」という本を読んだ。その本を読んだ時「自分の思っていた通りだ!」という感想を抱いた。思い返してみても、読書でそんな感覚を抱いたことはなかった。
外食やコンビニ飯で3食済ませる日々を送り、
脱却したいと試行錯誤を重ねていた。自炊を試みるも頑張り過ぎたり、反動で妖怪「マクドナルド喰らい」になったり。数多の失敗と誘惑への敗北をへて、今のところは具沢山の味噌汁とご飯という食生活、安息地、約束の地にたどり着いた。その地での生活が2週間ほど続いた頃、ネットで土井氏の書籍を見かけた。具沢山の味噌汁とご飯という生活はまさに氏がお薦めする食生活の基本型だった。
前田さんやHIRO氏の読書スタイルをやんな型と呼ぶことにする。試行錯誤して試行錯誤してそして自分なりの答えを確立するまでトライしたから、本の内容に「やんな?」と共感できるようになったのではないかと考えている。初めに答えを求めて読書しても「やんな?」と共感はできない。
考える力、試す力
思えば、人は意思疎通の方法をしらずに生まれてくる。にもかかわらず、考えに考えて3年もすれば相手のいうことを理解し、ある程度意思を伝えられるようになる。それにはもちろん環境という補助も必要なのだけど、誰かに手取り足取り腰とり教えてもらわなくとも力をつける力が備わっているのだと思った。しかし、成長していくにつれ効率とか他人より先に、というような感情が習得時についてまわる。それが結局習得を遅くしているのではないだろうか。それらは邪念、いやジャネンバと呼ばれ、試す力=勇気を奪い去る素となる。この考えを育むのには、慣れない仕事でうまくいかない日々を送っている自身の経験と、篠原信氏著「思考の枠を超える」に大いにインスパイアを受けた。
そういうわけで、最近はもっぱら、このジャネンバを取るにはどうしたらいいのだろう、という新たなジャネンバに囚われる日々を送っている。