大海原モデルの見直しから
つい先日、怒ることについての記事を書いたところだったというのに。
それから2週間位か。また図らずも怒ってしまった。感情がざわついてしまって、それが態度に出た。記事で書いた大海原は機能したとも言えるし、しなかったとも言える。突発的な怒りには通用せず、その後その怒りを長引かせないことには有効だった。そこで、このときに書いた怒りの沈め方「広い海を心のなかに持つ」ということを考え直してみたい。この考え方のことを「大海原モデル」と呼ぶことにする。
#2の最後は、若干迷いが見て取れるがものの、「怒りについて考えすぎないほうがいい」という締め方をしている。しかし、自分のような分析的に考えてしまうようなタイプはどうも感覚的なアプローチが上手くハマッていないと感じる。そこで、いっそのこと徹底的に考えてみることにした。先日読んでいたセネカ「生の短さについて」が徹底的に分析する戦略を後押ししてくれた。心の平静を追求するにあたって、2000年も前のおじさんはこう述べてくださっている。
P76 心の平静について
さしあたっては、病状を残らず明るみに出し、そうすることによって各自が自分にある病態を認識できるようにするのが良い。そうすれば、(中略)君の自己嫌悪がどれほど問題の少ないものか理解できるはずである。
実を言うと、前回の記事の結論
「怒りについて考えすぎないほうがいい」
もこの本から着想という名の丸パクリによって導き出したものだった。
同上 P75
必要なのは、ある場合には自分の前に立ちふさがったり、ある場合には自分に起こったり、ある場合には自分に対してつらくあたったりするといった、われわれがすでに卒業したかつてのあの厳しすぎるほどの方法ではなく、最後にやって来る方法、つまり自分を信頼すること、そして、(中略)自分が正道を行っていると信じることである。
また、彼は様々な欲望を「厄介な腫れ物」として扱っていることもあり、私はそれを「怒りも欲望の一つと捉えると、触りすぎるとかえって悪化するな、、、」と捉えて前回の結論に達した。
つづく